研究紹介:論文・エッセイ

以下で、最近発表した研究等をいくつかご紹介いたします。

看取り士 柴田久美子先生の臨死体験と他界したお父様との再会体験に関する論考

大門正幸(2024)「ある臨死体験と再会体験の事例--看取り士 柴田久美子氏の事例--」『中部大学リベラルアーツ論集』6, pp. 8-21.(PDFファイル

タイで警察官だったという過去生記憶について詳細に語った男の子の事例

大門正幸(2023)「国際的再生型事例—タイでの過去生記憶を持つ子どもの事例—」『中部大学リベラルアーツ論集』5, 36-55.(PDFファイル

国をまたいでの生まれ変わり事例(国際的再生型事例)の数はそれほど多くありません(データベースでは6.1%)。この論文は、そのような数少ない事例の一つを報告しています。具体的には、タイで警察官だったという過去生について詳細に語っている男の子の事例で、筆者が報告したものとしては3例目にあたります。記憶自体もさることながら、過去生と現在のお母さんとのつながり、という点でもとても興味深い内容が語られています。

 

戦艦大和に乗組員で沖縄特攻で命を落とした記憶を持つ男の子の事例

Ohkado, Masayuki (2023) "A Japanese Case of the Reincarnation Type with Written Records Made Before Verifications: A Child Claiming to Have Fought on the Battleship Yamato." Explore, 19(1), 153-159.(出版された論文へのリンク [出版社のページ]

亡くなった方との邂逅体験が人生観におよぼす影響

大門正幸 (2021)「死後交信と霊的変容体験」『中部大学リベラルアーツ論集』第3号, pp. 22-32.  (PDFファイル

1983年の大韓航航空機撃墜事件で奥様と御子息を亡くすという悲劇的な体験をされた武本昌三先生は、ミディアムを通してお二人との「再会」を果たし、それまでとは全く違った人生観を持つに至り、ご著書やご講演、webページを通して、大切な人を亡くして悲嘆に暮れていらっしゃる方、さまざまな試練に苦しんでいらっしゃる方への道標となるべく活動していらっしゃいます。その武本先生のご協力を得て、ご体験を「霊的変容体験」(人生観を一変させるような現象の総称)の一例として、分析紹介させていただきました。

先生のご著書『天国からの手紙:愛する家族との18年間の霊界通信』を手に取ってくださる、あるいは先生のwebページを訪問してくださるきっかけの一つになれば大変嬉しく思います。

 

旅立った娘さんが弟として帰って来てくれたと思われる事例PDFファイル

大門正幸 (2016)「同一家族内における生まれ変わり型事例」『人体科学』25(1), 3-12.(J-Stageでは入手可能だったものをこちらにも掲載しました。)

■論文の序文より:日本人にとって生まれ変わりという概念がずっとなじみ深かった第二次世界大戦前には、 死者が同じ家族の元に生まれ変わってくるとい う考え方はかなり広く受け入れられていており、いくつもの生まれ変わり型事例(Case of the Reincarnation Type, CORTs)が存在していたようである。

現代の日本でもこのような事例は存在し、筆者自身もそのいくつかを調査している(未発 表)。本稿では、その中の一つである男児の事例を紹介したい。また、その事例に見られるい くつかの要素が、バージニア大学知覚研究所の生まれ変わり型事例データベースにおいてどれぐらいの割合で見られるものなのかについて分析を行い、生まれ変わり型事例全体の中での本事例の特徴を浮き彫りにしたい。

「胎内記憶」について(PDFファイル

大門正幸 (2020)「『胎内記憶』とそれに関連する言説をめぐって〜感情的な反発から理性的で建設的な提案へ〜」『人体科学』29(1), 22-31.

■論文の「要旨」より:「胎内記憶」という表現は本来「母親の胎内にいる時の記憶」を指す語であるが、 「過去生記憶」や「中間生」と呼ばれる受胎前の記憶、「誕生時記憶」なども含めた総称と して用いられるようになってきている。胎内記憶研究の第一人者とされる池川明氏の活躍 によって一般に知られるようになったこの概念は、広く受け入れられるようになると同時に、様々な批判を受けるようにもなってきた。本稿では、「専門家」による「胎内記憶」 批判を検討し、それらが妥当性に欠けるものであることを示す。一方、「胎内記憶」推進 派の言説や実践についても改善が望まれる点がある。特に次の二点は重要である。第一に、 人生観に関する知見という「胎内記憶」研究から得られる「態度価値」を重要視するあまり、 たとえば「子どもはみな親を選ぶ」のような過度な一般化がなされ、実際のデータから乖 離してしまうことがある点である。「胎内記憶」を「根拠」とするのであれば、データに ついてはより慎重な取り扱いが必要であろう。第二の点は、「胎内記憶」と密接に関わる 特殊能力の取り扱いについてである。具体的には、胎児との対話や、重い障がいを持った 子どもとの対話など、「胎内記憶」同様、従来の脳還元主義的意識論では説明できないコ ミュニケーションである。これらについては、「胎内記憶」の真実性と同様に、調査・研 究によってその実在性が確認されるべきであろう。

中絶された子が孫として帰って来たように思われる事例PDFファイル

大門正幸 (2020)「中絶の関係する再生型事例」『中部大学リベラルアーツ論集』2, 14-30.

論文の「はじめに」より:本稿では、二つの点で希少な再生型事例を報告する。一つ目は、中絶された子が生まれ 変わったように思われる事例であるという点である。生まれてくる予定の子供の霊が自分 を中絶しないように訴えた事例や、霊が中絶を誘発する可能性については、Stevenson (1997; 2001) でも報告されているが1、事例の中心人物が中絶の対象者であったという事例は、筆 者の知る限りでは Tucker (2005)が報告しているケンドラ・カーター (Kendra Carter) の事例のみである (Tucker, 2005: chapter 6)。この意味で、本稿で紹介する事例は稀な一例であると言 える。第二に、本事例では、自然霊(動物霊)が関係する。三浦 (2008) が指摘するように、 日本の心霊現象の際立った特徴の一つとして自然霊の関わりが挙げられるが、本事例にお いても稲荷(狐霊)が関係しており、再生型事例としては稀有な例である。

退行催眠によって想起された過去生での「死」の体験が臨死体験とどれぐらい似ているかの調査PDFファイル

Ohkado, Masayuki & Bruce Greyson (2018) "A Comparison of Hypnotically-Induced Death Experiences and Near-Death Experiences," Journal of International Society of Life Information Science, 36(2), 73-77.

前世退行催眠(いわゆる前世療法)によって想起された人生は当然のことながら「既に終わった人生」であり、催眠中にその人生での「死」を体験することは一般的です。では、そのような「死」の体験はどれほど現実の死と近いものなのでしょうか? この点を明らかにすべく、臨死体験と比較したのがこの調査です。臨死体験尺度を使って体験そのものの類似性を、また改定版人生変化目録を使って体験の影響を調べました。非常に大雑把な言い方をすれば「両者は十分似ている」という結論となりました。つまり、退行催眠は「死の予行演習に使える」という可能性が示唆されます。

お子さんが胎内記憶を語ったことによって、世界観・人生観が一変した事例

大門正幸 (2018)「子供が語る胎内記憶によって誘発された霊的変容体験」『人体科学』27(1), 13-22.

「空の雲の上からずっとママ見てたの。ママ大好きだよーってジャーンプしたの。それでね。ママのとこにきたの。でも1回戻ったんだ。2回来たんだよ!」(一度流産したけどまた戻って来た)

「心配で生まれてきた」(前世では自分の娘だった、今の母親のことが心配で生まれてきた)

「ママ、心なかった」(精神的に追い詰められていた母親を心配してやって来た)

そんなふうに語った子供達の言葉によって世界観・人生観が一変した、ある母親の事例。

同一家族内の生まれ変わり事例(自死の記憶を持つこども,)PDFファイル

2016年にJournal of Scientific Exploration誌で発表した論文に加筆した日本語版です。

日本のいくつかの生まれ変わり事例PDFファイル

Ohkado, Masayuki (2017) "Same Family Cases of the Reincarnation Type in Japan," Journal of Scientific Exploration, 31(4), 551-571.

日本における、生まれ変わり事例(再生事例)に関する論文です。いずれも同一家族内の事例で、今回報告したのは、

(i) 6歳で亡くなった女の子が同じお母さんの所に帰ってきてくれたカノン君の事例、
(ii) 出産予定日直前に亡くなったお子さんが帰ってきてくれたタカトキ君の事例、
(iii) 二回の流産の後に帰ってきてくれたタクマ君の事例、
(iv) 病気の娘さんを心配したお母さんが娘さんのお子さんとして帰ってきてくれたタエさんの事例、
(v) 若くして亡くなった弟が娘として帰ってきてくれた事例

の5つです。

(i) と (ii) では、亡くなったお子さんがご家族と交信を取ろうと試みてくれたと思われる出来事も報告しています。((ii)では、お母さんご自身は「スピリチュアルな繋がりは否定できないものの生まれ変わりとは考えたくない」とおっしゃっています。)(v) はなんと実験的母斑の事例です。

過去生記憶、中間生記憶、胎内記憶、誕生時記憶を持つ三つの事例PDFファイル

大門正幸 (2017)「誕生前・誕生時記憶を語る子供たち〜日本における三つの事例」『中部大学共通教育部紀要』3, 13-27.

過去生記憶、中間生記憶、胎内記憶を持つ三人のお子さんの事例の報告です。過去生でのおとうさんと一緒の自分を描いてくれたむーちゃん、お母さんのお腹の中にいる妹を描いてくれたあいりちゃん、ものすごく感受性が強く慈愛に溢れたゆめりちゃん、三人が語ってくれた記憶と記憶にまつわる感動的なエピソードをつづっています。

同一家族内の生まれ変わり事例(自死の記憶を持つこども)PDFファイル

Ohkado, Masayuki (2016) "A Same-Family Case of the Reincarnation Type in Japan," Journal of Scientific Exploration, 30(4), 524-536.

「息子さんがお孫さん(娘さんの息子)として帰ってきたことを示唆する生まれ変わり事例に関する論文がSociety for Sicentific Explorationの機関紙に掲載されました。

(1) 息子さんが亡くなった後のお母様との交信(after-death communication, ADC)、(2) お孫さんが話す息子さんとしての記憶、(3) 過去生と関連する母斑、(4) 息子さん時代にお世話になった祖父母(今上では曽祖父母)に示した愛情、(5) 中間生で「地球に生まれたら一緒になろうね」と約束してきた子供たちとの出会い、(6) 自死した人がしばらくすごす反省部屋の話、(7) 息子さん時代にスポーツ指導をしていた当時小学生だった女性たちとの「再会」、など、盛りだくさんの内容です。調査の過程で何度も驚くようなシンクロ体験がありました。多くの方にお読みいただきたいです(英語なので申し訳ないですが・・・)。

「誕生時記憶」「胎内記憶」「中間生記憶」「過去生記憶」に関するアンケート調査の結果PDFファイル

Ohkado, Masayuki (2015) "Children's Birth, Womb, Prelife, and Past-Life Memories: Results of an Internet-Based Survey," Journal of Prenatal and Perinatal Psychology and Health, 30(1), 1-16.

出生前・周産期の心理学と健康協会(The Association For Prenatal and Perinatal Psychology and Health)の機関誌に掲載された論文です。インターネットを用いて、「誕生時記憶」「胎内記憶」「中間生記憶」「過去生記憶」に関するアンケートを行 いました。

池川明先生との2014年の共著 "Children with Life-Between-Life Memories"で、「過去生記憶」や「中間生記憶」だけを単体で調査するのではなく、「誕生時記憶」や「胎内記憶」と合わせて調査することで、これら の記憶をより大きな視点から見ることができると主張しました。本論文ではその視点から、10,000人の女性を対象に行ったアンケート結果を報告したもの です。

本論文で示した主な論点は以下の通りです。
(1) 4種類の記憶の中でよく知られている順番に並べると、(a) 胎内記憶、(b) 誕生時記憶、(c) 中間生記憶、(d) 過去生記憶。
(2) 3歳~12歳の子供を持つ母親に限った場合、胎内記憶、誕生時記憶、中間生記憶、過去生記憶を語る子どもの割合は、それぞれ、28.1%、16.2%、13.3%、4.0%。
(3) どの記憶においても、ほとんどは2、3歳で話し始め、8歳くらいまでに自分からは話さなくなる。
(4) どの記憶においても、寝る前や食事時に話すことが多い。また、過去生記憶を除き、入浴時に話すことが多い。
(5) 記憶の中に事実と合致する例が多くあり、そのため空想ではなく本当の記憶だと感じている母親が多い。
(6) 記憶の有無について、母親の宗教的背景は無関係。
(7) 一部の例外を除き、子供がこのような記憶を話す、あるいは話すことがあるという事実を知っていることは、母親に対していい影響を及ぼす。

心(意識)と脳との関係について

大門正幸 (2014)「脳 還元論から脳濾過装置理論へ」『人体科学』23(1), 10-17.

心の在り方が身体や脳の在り方に影響を与える心身相関現 象、臨死体験や神秘体験、霊媒現象、生まれ変わり現象といった諸現象を視野に入れると、脳は心を生み出す装置であると考えるよりは、脳はむしろ心の中で生 存に直接必要なものに意識を集中させ、それ以外の部分を濾過する一種の濾過装置のような役割を果たしていると考えた方がいいことを示しました。

実 証主義的研究としての「心の科学」は、心を自然科学と同一の方法で記述しようとする試み、すなわち、心の自然化(naturalization of mind)を押し進める形で発展してきました。やがて脳科学の進歩によって、心の状態には全て対応する脳の状態が存在する、という心脳並行説が生まれ、さらには心は全て脳に還元できるとする脳還元論が支配的になりました。しかし、心の自然化が進みつつあった19世紀の終わりに、アンリ・ベルクソンやフレデ リック・マイヤーズ、ウィリアム・ジェームズといった碩学は、脳は広大な心を絞り込む、濾過装置のような役割を果たすと考えていました。心を脳によって生 み出されるものであると考える脳還元論は、脳の機能が弱まれば心の活動も弱まることが予測されます。一方、脳濾過装置理論では、脳の機能が弱まった時に は、脳が活発に働いている時には濾過されて意識に上ってこないような心の状態が感じられることになります。パム・レイノルズの事例に代表されるような、脳 が完全に機能停止していた時に体験される深い臨死体験は、脳濾過装置理論の正しさを示唆しています。また、LSDやメスカリン、シロシビンといった薬物に よって生じる神秘体験時の脳の活動は、シロシビンを用いた最新の研究によれば、活性化するどころか、むしろ抑制されていることが分かっていて、これも脳濾 過装置理論を指示する事実です。この他、心の状態が脳を含む肉体に影響を与えるように見える心身相関現象や、霊媒現象や生まれ変わり現象といった心が肉体 的な死を超越しているかのように見える現象は、脳還元論では全く扱うことができません。

近代物理学の祖ニュートンは、晩年「世間の人の目 にどう映っているかは分からないが、自分は海岸で戯れている少年に過ぎないように思われる。目の前に横た わる偉大な真実の大海に気づくことなく、ただ時折、滑らかな小石や奇麗な貝殻を見つけて喜んでいるだけなのである」と語ったと伝えられています。今こそ、 脳を超えた心の研究という「大海」にも目を向けるべきではないかと思います。

心と意識の関係、特に言語に焦点を当ててPDFファイル学術情報デポジトリの頁

大門正幸 (2015)「言語中枢は脳のどこにあるのか?」『中部大学全学共通教育部紀要』1, 15-33.

意識が脳から生み出されるとは考えられないことを、特に言語に焦点を当てて論じたものです。エベン・アレグザンダー博士の事例、パム・レイノルズ氏の事 例、ジル・ボルト・テイラー博士の事例、いずれも言語中枢が機能していないにも関わらず、言語的な思考が行われていたことを示す事例が存在すること、言語 産出の仕組みや失語症の研究から、概念中枢と呼ばれるものは脳内にあるとは考えにくいことを論じました。一般に言われる言語が脳機能に深く依存している点 に疑問の余地はありませんが、そのような言語の元となる、思考の言語とも呼べるものの所在は明らかではないと言えるでしょう。概念中枢の所在として、肉体 のどこか(たとえば脳幹など)にあるが、そこが損傷を受けると即、死に至ってしまうくらい深い部分なので、通常概念中枢が損傷された失語症はありえない、 と考えることもできますが、意識を肉体の外に置く脳濾過装値理論に従い、概念中枢も肉体の外にある、と考えることもできます。どちらにせよ、外見的には言 葉を失ったかに見える人の中に豊かな思考の世界が広がっている場合が多くある、という事実については、忘れてはいけないでしょう。

過去生記憶の容貌への影響:第二次世界大戦時の日本兵としての過去生記憶を持つビルマ人(PDFファイル

Ohkado, Masayuki (2014) "Facial-Features of Burmese with Past-Life Memories," Journal of Scientific Exploration, 28(4), 597-603.

故イアン・スティーブンソン博士は、1997年の大著 Reincarnation and Biologyの中で200を越える過去生記憶が肉体に影響を及ぼしたと考えられる事例を報告しています。たとえば、過去生で胸を撃たれて死亡した記憶を持つ子どもの胸の該当する部分に銃創に似た母斑がある、とか、過去生で指を切り落とされた記憶を持つ子どもの指が先天的に欠損している、といった事例です。(事例の多くで は該当する過去生の人物が見つかっているだけでなく、そのうちのいくつかでは、過去生の人物が、子どもの証言と合致する形で死亡したことが検死記録などか ら確認されています。)また、過去生の人物と容貌が似ているとか、体躯が似ているといった報告もあります。また、外国人の記憶を持つ事例の場合、当該の子 どもについて、周りの人たちが、自国民よりは外国人っぽい顔立ちをしていると判断する場合もあります。この研究では、第二次大戦中にビルマ(現在のミャン マー)で戦死した日本兵としての過去生記憶を持つビルマ人の容貌について日本人っぽいと言えるかを検証しました。

バージニア大学の知覚研 究所には2,600を越える過去生記憶を持つ子どもの事例が保管されています。その中には、第二次大戦中にビルマ(現在のミャン マー)で亡くなったという記憶を持つビルマ人の事例が24例含まれています。当事者を知るビルマ人たちによれば、この人たちは、ビルマの熱い気候や辛い食べ物に文句を言う、ビルマ人の衣服を着用しようとしない、ビルマ人特有のお祈りの仕方を拒否する、日本に帰りたがる、といった共通の特徴が見られます。さ らに現地の人に言わせればこれらの人は顔立ちもビルマ人というより日本人のようです。本稿は、この人たちの容貌に関して、日本人も「確かに日本人のようだ」と判断するかどうかを実験で検証したものです。

この実験では、日本人兵士としての過去生記憶を持つビルマ人の中で比較的鮮明な写真が残っている18人を選びました。これが実験群です。対照群として、ビ ルマ人としての過去生記憶を持っているビルマ人の中で性別・年齢が可能な限り近い18名を実験群として選びました(対照群としてビルマ人っぽい顔立ちの人 を意図的に選ぶことのないように、性別・年齢を選択の規準とし、条件が同じ場合には事例に振られている番号が若い方を選びました。)。髪型や顔の輪郭、服 装の影響を排除するために、画像加工ソフトを使ってこれらを処理し、顔立ちだけが分かる36名の写真を容易しました。(実験段階では、過去生での性が顔立 ちに影響する可能性も同時に調査しようとしたため、容易した写真はもう少し多かったのですが、今回の報告では削った方がいいだろうという査読者の助言に従 い、その部分についての説明は割愛します。)36名の顔写真をランダムに並べ、1枚が10秒間表示されるスライドショーを作成しました。これをシャーロッ ツビル在住、または滞在中の日本人に見ていただき、日本人らしさについて5段階で判断してもらいました。

実験の結果、判断をお願いした日 本人は、日本兵としての過去生記憶を持っている人の写真の方がビルマ人としての過去生記憶を持っている人の写真より「日本 人っぽい」と感じたことが分かり、容貌についても過去生記憶が影響している可能性について、ある程度客観的な形で示すことができたと思います。

シャー ロッツビルに住む日本人は少なく、友人・知人ベースで判断をお願いせざるを得ませんでしたが、より客観性を持たせるには、年齢や地域などを調整した 上で判断をお願いする必要があります。また、顔認識技術が進歩した現在、人間ではなくコンピューターに「日本人っぽさ」を判断してもらうことができれば、 より客観的な検証ができると思います。(特に後者の可能性を探っていきたいと考えています。)

中間生記憶を持つ子どもに関する報告(池川明先生との共著)(PDFファイル

Ohkado, Masayuki & Akira Ikegawa (2014) "Child with Life-Between-Life Memories," Journal of Scientific Exploration, 28(3), 477-490.

過 去生で死んだ後、自分の身体や葬儀の様子を空から見守っていた。死後、「天国」に行き、そこで神様(のような存在)に出会った。[天国」から両親を選ん だ。このような中間生記憶を持つ子どもの事例は多数報告されています。しかし、これまで中間生記憶を対象とした学術的な研究は、ほとんどなく、私の知る限 りでは、本稿執筆時はSharma & Tucker (2004)だ けでした。胎内記憶研究の第一人者である池川明先生と共同で執筆した本論文は、研究対象とされることの少なかった中間生記憶に焦点を当てたものです。 Sharma & Tucker (2004)は、「過去生記憶を持っている子どもでなおかつ中間生記憶を持っている子ども」が考察の対象でしたが、本論文は「過去生記憶は持っていないが 中間生記憶を持っている子ども」も対象にした点に特色があります。また、Sharma & Tucker (2004)で主に取り上げられているのはビルマ人(ミャンマー人)の事例なので、日本人を対象とした本研究は、中間生記憶に対する文化的な影響に関する 情報も提供しています。

主な調査結果は以下の通りです。(1) 子どもが中間生記憶について話をし始めたのは平均で45.2カ月(最少21カ月、最大70カ月);(2) 記憶について話すのは、多くの場合、入浴時や就寝前といったリラックスした状態の時;(3) 中間生記憶を話す時には通常より冗舌になる場合があり、中には普段見られる吃音が見られなくなる場合もある;(4) 母親のほとのどは子どもの記憶に興味を示すが、父親のほとんどは示さない;(5) 中間生記憶も過去生記憶もある4人のうち2人は過去生での死の状況や葬儀の様子などについても語っている;(6) 多くの子どもは中間生の場所を「雲」、「空」、「光」と表現している;(7) 多くの子どもが神あるいは神のような存在と一緒にいて、助言を受けたと語っている;(8) 中には現在の兄弟と一緒だったと語る子どももいる;(9)中間生の場所にいる時の気持ちはほとんどが肯定的;(10) 多くの子どもが地上の様子を見ることができたと語っている;(11) 多くの子が自分達の親(特に母親)を選んだと述べている;(12) 中にはなぜ生まれることにしたのかを記憶している子どももいる;(13) 母親のお腹にやって来た時のことを覚えている子もいる;(13) 本人が生まれる前の出来事について語り、それが事実と合致していた例もある。(14) ビルマの事例では過去生で死を迎えた後、その場所に留まっていたとか、近くの木にいた、寺院にいたという報告が多いが、日本人の事例にはそのような報告は なかった。

過去生記憶を持つ日本人児童の事例(PDFファイル

Ohkado, Masayuki (2013) "A Case of a Japanese Child with Past-Life Memories," Journal of Scientific Exploration, 27(4), 625-636.

バージニア大学知覚研究所を創設したイアン・スティーブンソン博士が過去生を語る子どもの研究を行うきっかけとなった事例の一つが、江戸時代の日本人勝五郎の事例でした。博士がこの分野の研究に邁進する契機となった1960年発表の論文 "The Evidence for Survival from Claimed Memories of Former Incarnations" の中で世界各地で報告されている過去生記憶を持つ子どもの事例の筆頭に勝五郎の事例を挙げています。ところが40年を越える調査を通して集められた事例の 中に、過去生記憶を語る日本人の事例は一つも収められていません。本論文では現代の日本でも勝五郎と同じような事例が存在することを示しました。

Tomo くんは、生後11カ月の頃から、AJINOMOTOやTOYOTAといった会社のロゴのアルファベットに大変な興味を示し、平仮名よりも先にアル ファベットを覚えてしまいました。描いた絵にサインするようになった2歳の頃には自分の名前を「TOMO」とつづっていました。また、2歳の頃、ドラマの エンディング曲として流れたカーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」を、それまで聞いたこともないはずなのに、テレビの音声に合わせて歌い出し母 親を驚かせました。さらに4歳になる少し前、突然「ニンニクを剥きたい」と言い出し、それから数年に渡って、イギリスの料理やの息子としての過去生記憶に ついて様々なことを語ったのです。残念ながら過去生の人物は見つかりませんでしたが、記憶を語りはじめる時期や内容、記憶に伴う感情的な動きなどは他の数 多くの事例と同じで、現在の日本にも勝五郎と同じようにはっきりとした過去生記憶を持つ子どもがいることを示しました。なお、Tomoくんの事例について は、ご家族の了解を得て拙著『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』にも掲載させていただきました。

英語で発表された(おそらく初の)日本人の臨死体験に関する研究

Ohkado, Masayuki & Bruce Greyson (2014) "A Comparative Analysis of Japanese and Western NDEs," Journal of Near-Death Studies, 32(4), 187-198.

1975年にレイモンド・ムーディー博士がLife After Lifeを出版して依頼、欧米では臨死体験の研究が盛んに行われるようになりました。一方、日本では臨死体験の存在自体は認知されるようになったものの、研究の対象とされることはほとんどなく、30年に及ぶ臨死体験研究を総括したThe Handbook of Near-Death Experience: Thirty Years of Investigation においても日本人研究者による言及はなく、またそこに所収の、様々な文化圏における臨死体験を比較したAllan Kellehearの論考にも日本人の臨死体験に言及はないという残念な状況でした。そこで、知覚研究所の前所長であるブルース・グレイソン博士と共同 で、日本人の臨死体験について西洋の体験と比較した論文を執筆しました。

先行研究が明らかにしたように、臨死体験にはかなりの程度共通に見 られる要素があることが分かっています。文化圏を問わず共通する部分は、人間として普遍 的に体験されるコアな部分で、文化によって異なる部分は、(A) 体験は共通するが文化的な解釈が異なるのか、あるいは、(B) 体験そのものが異なると考えられます。本論文では、西洋で報告されてきた臨死体験と日本人による臨死体験を比較し、両者の共通点と相違点を探ったもので す。日本人の臨死体験に顕著なのは、(1) 光体験の少なさ、(2) 光を体験した場合の光との交信の欠如、(3) 天国のイメージとして花畑が頻出することや境界として川が頻出すること、(4) 人生回顧の欠如、といった点です。(1)と(2)については、既に立花隆氏が指摘しているように、日本人の多くには、光と神を同一視するキリスト教的な文 化背景がないことが理由でしょう。(3) は従来語られて来た天国観が影響しているように思われます。(4)についても、(1)および(2)と同様に、最後の審判というキリスト教文化圏背景がない ことが原因ではないかと考えられます。(1)-(3)は、体験そのものは共通するが、そこに文化的色づけがなされている例、(4) は文化的理由により体験そのものがない例ではないかと考えられます。とは言え、日本人の臨死体験研究はまだまだこれからですので、体験の分析が進めば結論 も変わってくるかも知れません。

 

2024/02/13