学問的トレーニングを受けたという点では、私の専門は言語学、特に「心の科学」としての言語学です。言語を心の科学の中核的な存在にした、マサチューセッツ工科大学のノアム・チョムスキー教授によって創設されたこの分野では、人間の言語能力の解明を目指すべく精力的に研究が推進され、50年ほど前には想像もできなかった数多くの知見が得られてきています。しかし、心の本質的な部分は心(意識)を脳が生み出していると考える現在主流のパラダイムでは到底解明できないのではないかと考えるに至り、現在は意識が肉体を超えた現象に焦点を当てて探究を続けています。以下で、最近発表した研究等をいくつかご紹介いたします(学会から許可を得たものについてはPDFファイルのダウンロードが可能です。それ以外については、メールをいただければ、PDFファイルをお送りいたします)。

     
「過去生記憶」を持つ子供の事例で、退行催眠による過去生想起との共通性が見られる事例(PDFファイル
 

過去生記憶には大きく分けて二つのタイプのものがあります。ひとつは退行催眠(いわゆる前世療法)によって現在の生よりも前に年齢を退行させた時に生じるものです。退行催眠は通常セラピーとして行われるので、当事者はほとんどの場合が成人です。もう一つは、過去生記憶を持つ子供の事例(「再生型事例)で、子供が幼少時から過去生記憶を保持している場合です。両者の場合には色々な違いがありますが、特に重要なのは、過去生記憶と関連する恐怖症や嫌悪感のような否定的な感情に関してです。退行催眠では、症状の原因を自覚していないクライアントが施術を受け、原因と思われる過去生での出来事を想起することによって症状の改善が生じますが、幼少時から過去生記憶を保持している子供の場合、症状の原因となっている過去生の出来事は最初から明らかです。このような違いから、二つの過去生は質が違うのではないかとの推測もできます(cf. Stevenson, 1994)。本原稿では、幼少の頃から過去生記憶を保持しているという点では再生型事例的ですが、あるきっかけからそれまで内に秘めてきた過去生記憶について語ったことで、ずっと悩まされてきた恐怖症や不安感が軽減されたという点では退行催眠で想起される過去生記憶と似た特徴を示す、いわばハイブリッド的な事例について紹介しています。

お母様が幼少期より感じていた長女さんとの関係や、次女さんを身籠った時の天と繋がった感覚、長女さんがいくつもの過去生について語った時、その中の一つが次女さんの語った過去生と共通する、など、本稿で紹介している事例は、魂の絆を強く感じさせる物語でもあります。

     
「誕生時記憶」「胎内記憶」「中間生記憶」「過去生記憶」に関するアンケート調査の結果
 

出生前・周産期の心理学と健康協会(The Association For Prenatal and Perinatal Psychology and Health)の機関誌に掲載された論文です。インターネットを用いて、「誕生時記憶」「胎内記憶」「中間生記憶」「過去生記憶」に関するアンケートを行いました。池川明先生との2014年の共著 "Children with Life-Between-Life Memories"で、「過去生記憶」や「中間生記憶」だけを単体で調査するのではなく、「誕生時記憶」や「胎内記憶」と合わせて調査することで、これらの記憶をより大きな視点から見ることができると主張しました。本論文ではその視点から、10,000人の女性を対象に行ったアンケート結果を報告したものです。

"Children's Birth, Womb, Prelife, and Past-Life Memories: Reults of an Internet-Based Survey," Journal of Prenatal and Perinatal Psychology and Health 30(1), 3-16, 2015.

本論文で示した主な論点は以下の通りです。
(1) 4種類の記憶の中でよく知られている順番に並べると、(a) 胎内記憶、(b) 誕生時記憶、(c) 中間生記憶、(d) 過去生記憶。
(2) 3歳~12歳の子供を持つ母親に限った場合、胎内記憶、誕生時記憶、中間生記憶、過去生記憶を語る子どもの割合は、それぞれ、28.1%、16.2%、13.3%、4.0%。
(3) どの記憶においても、ほとんどは2、3歳で話し始め、8歳くらいまでに自分からは話さなくなる。
(4) どの記憶においても、寝る前や食事時に話すことが多い。また、過去生記憶を除き、入浴時に話すことが多い。
(5) 記憶の中に事実と合致する例が多くあり、そのため空想ではなく本当の記憶だと感じている母親が多い。
(6) 記憶の有無について、母親の宗教的背景は無関係。
(7) 一部の例外を除き、子供がこのような記憶を話す、あるいは話すことがあるという事実を知っていることは、母親に対していい影響を及ぼす。
 
心(意識)と脳との関係について
  「脳還元論から脳濾過装置理論へ」人体科学会の機関誌『人体科学』(2014年)掲載の総説論文。心の在り方が身体や脳の在り方に影響を与える心身相関現象、臨死体験や神秘体験、霊媒現象、生まれ変わり現象といった諸現象を視野に入れると、脳は心を生み出す装置であると考えるよりは、脳はむしろ心の中で生存に直接必要なものに意識を集中させ、それ以外の部分を濾過する一種の濾過装置のような役割を果たしていると考えた方がいいことを示しました。

実証主義的研究としての「心の科学」は、心を自然科学と同一の方法で記述しようとする試み、すなわち、心の自然化(naturalization of mind)を押し進める形で発展してきました。やがて脳科学の進歩によって、心の状態には全て対応する脳の状態が存在する、という心脳並行説が生まれ、さらには心は全て脳に還元できるとする脳還元論が支配的になりました。しかし、心の自然化が進みつつあった19世紀の終わりに、アンリ・ベルクソンやフレデリック・マイヤーズ、ウィリアム・ジェームズといった碩学は、脳は広大な心を絞り込む、濾過装置のような役割を果たすと考えていました。心を脳によって生み出されるものであると考える脳還元論は、脳の機能が弱まれば心の活動も弱まることが予測されます。一方、脳濾過装置理論では、脳の機能が弱まった時には、脳が活発に働いている時には濾過されて意識に上ってこないような心の状態が感じられることになります。パム・レイノルズの事例に代表されるような、脳が完全に機能停止していた時に体験される深い臨死体験は、脳濾過装置理論の正しさを示唆しています。また、LSDやメスカリン、シロシビンといった薬物によって生じる神秘体験時の脳の活動は、シロシビンを用いた最新の研究によれば、活性化するどころか、むしろ抑制されていることが分かっていて、これも脳濾過装置理論を指示する事実です。この他、心の状態が脳を含む肉体に影響を与えるように見える心身相関現象や、霊媒現象や生まれ変わり現象といった心が肉体的な死を超越しているかのように見える現象は、脳還元論では全く扱うことができません。

近代物理学の祖ニュートンは、晩年「世間の人の目にどう映っているかは分からないが、自分は海岸で戯れている少年に過ぎないように思われる。目の前に横たわる偉大な真実の大海に気づくことなく、ただ時折、滑らかな小石や奇麗な貝殻を見つけて喜んでいるだけなのである」と語ったと伝えられています。今こそ、脳を超えた心の研究という「大海」にも目を向けるべきではないかと思います。

     
心と意識の関係、特に言語に焦点を当てて(PDFファイル学術情報デポジトリの頁
  意識が脳から生み出されるとは考えられないことを、特に言語に焦点を当てて論じたものです。エベン・アレグザンダー博士の事例、パム・レイノルズ氏の事例、ジル・ボルト・テイラー博士の事例、いずれも言語中枢が機能していないにも関わらず、言語的な思考が行われていたことを示す事例が存在すること、言語産出の仕組みや失語症の研究から、概念中枢と呼ばれるものは脳内にあるとは考えにくいことを論じました。一般に言われる言語が脳機能に深く依存している点に疑問の余地はありませんが、そのような言語の元となる、思考の言語とも呼べるものの所在は明らかではないと言えるでしょう。概念中枢の所在として、肉体のどこか(たとえば脳幹など)にあるが、そこが損傷を受けると即、死に至ってしまうくらい深い部分なので、通常概念中枢が損傷された失語症はありえない、と考えることもできますが、意識を肉体の外に置く脳濾過装値理論に従い、概念中枢も肉体の外にある、と考えることもできます。どちらにせよ、外見的には言葉を失ったかに見える人の中に豊かな思考の世界が広がっている場合が多くある、という事実については、忘れてはいけないでしょう。
「言語中枢は脳のどこにあるのか?」『中部大学全学共通教育部紀要』、1号、2015年3月、pp. 15-33    
     
過去生記憶の容貌への影響:第二次世界大戦時の日本兵としての過去生記憶を持つビルマ人(PDFファイル
  故イアン・スティーブンソン博士は、1997年の大著 Reincarnation and Biologyの中で200を越える過去生記憶が肉体に影響を及ぼしたと考えられる事例を報告しています。たとえば、過去生で胸を撃たれて死亡した記憶を持つ子どもの胸の該当する部分に銃創に似た母斑がある、とか、過去生で指を切り落とされた記憶を持つ子どもの指が先天的に欠損している、といった事例です。(事例の多くでは該当する過去生の人物が見つかっているだけでなく、そのうちのいくつかでは、過去生の人物が、子どもの証言と合致する形で死亡したことが検死記録などから確認されています。)また、過去生の人物と容貌が似ているとか、体躯が似ているといった報告もあります。また、外国人の記憶を持つ事例の場合、当該の子どもについて、周りの人たちが、自国民よりは外国人っぽい顔立ちをしていると判断する場合もあります。この研究では、第二次大戦中にビルマ(現在のミャンマー)で戦死した日本兵としての過去生記憶を持つビルマ人の容貌について日本人っぽいと言えるかを検証しました。

バージニア大学の知覚研究所には2,600を越える過去生記憶を持つ子どもの事例が保管されています。その中には、第二次大戦中にビルマ(現在のミャンマー)で亡くなったという記憶を持つビルマ人の事例が24例含まれています。当事者を知るビルマ人たちによれば、この人たちは、ビルマの熱い気候や辛い食べ物に文句を言う、ビルマ人の衣服を着用しようとしない、ビルマ人特有のお祈りの仕方を拒否する、日本に帰りたがる、といった共通の特徴が見られます。さらに現地の人に言わせればこれらの人は顔立ちもビルマ人というより日本人のようです。本稿は、この人たちの容貌に関して、日本人も「確かに日本人のようだ」と判断するかどうかを実験で検証したものです。

この実験では、日本人兵士としての過去生記憶を持つビルマ人の中で比較的鮮明な写真が残っている18人を選びました。これが実験群です。対照群として、ビルマ人としての過去生記憶を持っているビルマ人の中で性別・年齢が可能な限り近い18名を実験群として選びました(対照群としてビルマ人っぽい顔立ちの人を意図的に選ぶことのないように、性別・年齢を選択の規準とし、条件が同じ場合には事例に振られている番号が若い方を選びました。)。髪型や顔の輪郭、服装の影響を排除するために、画像加工ソフトを使ってこれらを処理し、顔立ちだけが分かる36名の写真を容易しました。(実験段階では、過去生での性が顔立ちに影響する可能性も同時に調査しようとしたため、容易した写真はもう少し多かったのですが、今回の報告では削った方がいいだろうという査読者の助言に従い、その部分についての説明は割愛します。)36名の顔写真をランダムに並べ、1枚が10秒間表示されるスライドショーを作成しました。これをシャーロッツビル在住、または滞在中の日本人に見ていただき、日本人らしさについて5段階で判断してもらいました。

実験の結果、判断をお願いした日本人は、日本兵としての過去生記憶を持っている人の写真の方がビルマ人としての過去生記憶を持っている人の写真より「日本人っぽい」と感じたことが分かり、容貌についても過去生記憶が影響している可能性について、ある程度客観的な形で示すことができたと思います。

シャーロッツビルに住む日本人は少なく、友人・知人ベースで判断をお願いせざるを得ませんでしたが、より客観性を持たせるには、年齢や地域などを調整した上で判断をお願いする必要があります。また、顔認識技術が進歩した現在、人間ではなくコンピューターに「日本人っぽさ」を判断してもらうことができれば、より客観的な検証ができると思います。(特に後者の可能性を探っていきたいと考えています。)

     
中間生記憶を持つ子どもに関する報告(池川明先生との共著)(PDFファイル
  過去生で死んだ後、自分の身体や葬儀の様子を空から見守っていた。死後、「天国」に行き、そこで神様(のような存在)に出会った。[天国」から両親を選んだ。このような中間生記憶を持つ子どもの事例は多数報告されています。しかし、これまで中間生記憶を対象とした学術的な研究は、ほとんどなく、私の知る限りでは、本稿執筆時はSharma & Tucker (2004)だけでした。胎内記憶研究の第一人者である池川明先生と共同で執筆した本論文は、研究対象とされることの少なかった中間生記憶に焦点を当てたものです。Sharma & Tucker (2004)は、「過去生記憶を持っている子どもでなおかつ中間生記憶を持っている子ども」が考察の対象でしたが、本論文は「過去生記憶は持っていないが中間生記憶を持っている子ども」も対象にした点に特色があります。また、Sharma & Tucker (2004)で主に取り上げられているのはビルマ人(ミャンマー人)の事例なので、日本人を対象とした本研究は、中間生記憶に対する文化的な影響に関する情報も提供しています。

主な調査結果は以下の通りです。(1) 子どもが中間生記憶について話をし始めたのは平均で45.2カ月(最少21カ月、最大70カ月);(2) 記憶について話すのは、多くの場合、入浴時や就寝前といったリラックスした状態の時;(3) 中間生記憶を話す時には通常より冗舌になる場合があり、中には普段見られる吃音が見られなくなる場合もある;(4) 母親のほとのどは子どもの記憶に興味を示すが、父親のほとんどは示さない;(5) 中間生記憶も過去生記憶もある4人のうち2人は過去生での死の状況や葬儀の様子などについても語っている;(6) 多くの子どもは中間生の場所を「雲」、「空」、「光」と表現している;(7) 多くの子どもが神あるいは神のような存在と一緒にいて、助言を受けたと語っている;(8) 中には現在の兄弟と一緒だったと語る子どももいる;(9)中間生の場所にいる時の気持ちはほとんどが肯定的;(10) 多くの子どもが地上の様子を見ることができたと語っている;(11) 多くの子が自分達の親(特に母親)を選んだと述べている;(12) 中にはなぜ生まれることにしたのかを記憶している子どももいる;(13) 母親のお腹にやって来た時のことを覚えている子もいる;(13) 本人が生まれる前の出来事について語り、それが事実と合致していた例もある。(14) ビルマの事例では過去生で死を迎えた後、その場所に留まっていたとか、近くの木にいた、寺院にいたという報告が多いが、日本人の事例にはそのような報告はなかった。

     
過去生記憶を持つ日本人児童の事例(PDFファイル
  バージニア大学知覚研究所を創設したイアン・スティーブンソン博士が過去生を語る子どもの研究を行うきっかけとなった事例の一つが、江戸時代の日本人勝五郎の事例でした。博士がこの分野の研究に邁進する契機となった1960年発表の論文 "The Evidence for Survival from Claimed Memories of Former Incarnations" の中で世界各地で報告されている過去生記憶を持つ子どもの事例の筆頭に勝五郎の事例を挙げています。ところが40年を越える調査を通して集められた事例の中に、過去生記憶を語る日本人の事例は一つも収められていません。本論文では現代の日本でも勝五郎と同じような事例が存在することを示しました。
Tomoくんは、生後11カ月の頃から、AJINOMOTOやTOYOTAといった会社のロゴのアルファベットに大変な興味を示し、平仮名よりも先にアルファベットを覚えてしまいました。描いた絵にサインするようになった2歳の頃には自分の名前を「TOMO」とつづっていました。また、2歳の頃、ドラマのエンディング曲として流れたカーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」を、それまで聞いたこともないはずなのに、テレビの音声に合わせて歌い出し母親を驚かせました。さらに4歳になる少し前、突然「ニンニクを剥きたい」と言い出し、それから数年に渡って、イギリスの料理やの息子としての過去生記憶について様々なことを語ったのです。残念ながら過去生の人物は見つかりませんでしたが、記憶を語りはじめる時期や内容、記憶に伴う感情的な動きなどは他の数多くの事例と同じで、現在の日本にも勝五郎と同じようにはっきりとした過去生記憶を持つ子どもがいることを示しました。なお、Tomoくんの事例については、ご家族の了解を得て拙著『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』にも掲載させていただきました。
     
英語で発表された(おそらく初の)日本人の臨死体験に関する研究
  1975年にレイモンド・ムーディー博士がLife After Lifeを出版して依頼、欧米では臨死体験の研究が盛んに行われるようになりました。一方、日本では臨死体験の存在自体は認知されるようになったものの、研究の対象とされることはほとんどなく、30年に及ぶ臨死体験研究を総括したThe Handbook of Near-Death Experience: Thirty Years of Investigationにおいても日本人研究者による言及はなく、またそこに所収の、様々な文化圏における臨死体験を比較したAllan Kellehearの論考にも日本人の臨死体験に言及はないという残念な状況でした。そこで、知覚研究所の前所長であるブルース・グレイソン博士と共同で、日本人の臨死体験について西洋の体験と比較した論文を執筆しました。
先行研究が明らかにしたように、臨死体験にはかなりの程度共通に見られる要素があることが分かっています。文化圏を問わず共通する部分は、人間として普遍的に体験されるコアな部分で、文化によって異なる部分は、(A) 体験は共通するが文化的な解釈が異なるのか、あるいは、(B) 体験そのものが異なると考えられます。本論文では、西洋で報告されてきた臨死体験と日本人による臨死体験を比較し、両者の共通点と相違点を探ったものです。日本人の臨死体験に顕著なのは、(1) 光体験の少なさ、(2) 光を体験した場合の光との交信の欠如、(3) 天国のイメージとして花畑が頻出することや境界として川が頻出すること、(4) 人生回顧の欠如、といった点です。(1)と(2)については、既に立花隆氏が指摘しているように、日本人の多くには、光と神を同一視するキリスト教的な文化背景がないことが理由でしょう。(3) は従来語られて来た天国観が影響しているように思われます。(4)についても、(1)および(2)と同様に、最後の審判というキリスト教文化圏背景がないことが原因ではないかと考えられます。(1)-(3)は、体験そのものは共通するが、そこに文化的色づけがなされている例、(4) は文化的理由により体験そのものがない例ではないかと考えられます。とは言え、日本人の臨死体験研究はまだまだこれからですので、体験の分析が進めば結論も変わってくるかも知れません。