自分のことから出発して、お釈迦様のような大聖人の心を推し量るのは僭越とも思うが、それを許してもらえば、こういえるのではないかと思う。お釈迦様は、私が自分の末っ子を見るほどのやさしい目で万人を見ることができた方なのではないか。その心があまりにも愛に満ちていたので、すべての人に対して「かわいそう」という感じを持たれるにいたったのではないか・・・私の場合は、このような悲しみの気持ちで見ることができるようになったのは、まず末っ子であり、そのつぎに外の子供たちであり、いまではときどき、妻を見るときもそのような感情におそわれるときもある。またときには、私が教えている学生たちに対して感ずることもある・・・(渡部昇一『「人間らしさ」の構造』、講談社(講談社学術文庫)、pp. 166-167)

 

大好きだよ

バカなこと口走るのは  あなたの笑顔を見たいから
くだらないもの買って来るのも あなたの笑顔を見たいから
どんな嵐が来ても  波風が立っても
変わらない ずっと  ずっと   あなたへの この 思い
いつまでも   いつまでも


たとえば店先で ふと目についた品物を
手にしたあなたの微笑む姿  考えて胸があつくなる
いつも  どんな時でも あなたの笑顔を胸に
変わらない ずっと  ずっと   あなたへの この 思い
いつまでも   いつまでもどんな

変わらない、 ずっと   ずっと
あなたへの この想い いつまでも いつまでも
いつまでも いつまでも

 

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