キャンパスに(新入生に捧ぐ)

苦しいことについて

大学入学の時、学校が用意する正規の授業案内の他に学生達が作った裏案内というものがあった。そこには各先生方の授業の特徴、お薦め度などが書かれていたが、評価の最も重要なポイントは「簡単に単位をくれるかどうか」であり、中でもお薦めはおいしいカレーの作り方を書けばそれば単位をくれるというY先生であった。知人の多くはその裏案内を参考にして取りやすい授業を中心に時間割を決めた。少なくとも授業に関して彼等が充実した時間を過ごせなかったのは言うまでもない。

大学院の時とても厳しい授業を受けた。少し予習のやり方が不十分だったりすると容赦無くどなられ女性学生の中には授業中泣くものも出た。授業の後飲みに行ってはその先生について悪態をついた。しかし今から考えればその先生の授業が一番自分の力を伸してくれたと思う。そして、その先生には言葉では言い表せないくらいに感謝している。

学生から相談を受けた。○○先生の授業はあまりにも宿題が多く厳しすぎると。学生に自分の大学院の時の経験を話した。その学生はやる気になって帰って行った。(ように見えた。)

「生まれてきたからには自分の持てる才能を少しでも大きくするのが」

 

ランナーズ・ハイ

「ランナーズ・ハイ」という現象がある。ランニングを始めると段々苦しくなってくる。その苦しさに耐えながらしばらく走り続けると、すっと楽になり陶酔感を得、どこまでも走っていけそうな感覚になる。この感覚を知ったらランニングが病み付きになる。

生体の苦痛に対する防御作用として、脳内でエンドルフィンという麻薬物質が分泌され、それを人間が快感と感じる、というのが生物学的説明のようだが、そんな説明はともかく厳しい作業や辛い修行をしばらく続けているとそれが普段は感じられないような快感に変わるということである。苦しさを感じはじめてすぐに走るのをやめてしまってはこの快感を感じることはできない。同じように苦しさを感じはじめてすぐに勉強をやめてしまっては本当のおもしろさは分からない。「苦しい」と思ったら「快感に近付いているのだ」と考えてみてはどうだろう。

 

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