なぜ今の研究をやってるの?
「先生はどうして今の研究をやってるんですか?」そう聞かれることが増えてきました。そこで、どのようにして今の研究に従事するようになったのか、そのいきさつをここで簡単に紹介しておこうと思います。
■ビートルズの衝撃 (1977〜1979) Beatlesのセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』
父親が中学校の英語の教員をしていたこともあってか、教科としての英語は好きな科目ではありました。しかし、英語を使いこなしたいという一番の動機づけになったのはビートルズとの出会いであったように思います。
中学2年の時だったと思いますが、友人からビートルズ (Beatles) のセカンド・アルバムである『ウィズ・ザ・ビートルズ』(With the Beatles) を借りました。「すごくいいから聞け」ということでした。直径30センチの黒く円いLPレコードに針を落とした次の瞬間に聞こえてきた音の衝撃。その時の戦慄はレコード・プレーヤーのあった部屋の光景と共に今も克明に思い出すことが出来ます。アルバムの1曲目、イト・ウォント・ビー・ロング (It won't be long)。外国人と話をしたこともない当時の中学2年生にとってその歌詞は「エロビロン、イェー、イェー」としか聞こえませんでしたが・・・
こうしてビートルズの先例を受けた私は「ビートルズのように歌いたい」という動機に突き動かされてギターを始め、また英語の勉強に精を出すようになったのでした。
『ビートルズ/1967-1970』いわゆる青版
中学の頃、ビートルズの様々な曲に挑戦しましたが、中でも思い出深いのは、通称『青版』と呼ばれていた、ビートルズ後期の代表曲を集めたアルバム、『ビートルズ/1967-1970』の中の1曲、「アクロス・ザ・ユニバース」です。ジョン・レノンの難解な歌詞の意味を辞書を片手に解読し、曲を録音したカセット・テープに合わせて納得いくまで歌い続けたのはいい思い出です。
■渡部昇一先生との「出会い」(1979〜1982) 渡部昇一先生の『英語の語源』
英語の歴史のおもしろさを知るきっかけとなったのは、渡部昇一先生との「出会い」でした。高校生の時、題名に惹かれて買ったのが渡部昇一先生の名著『英語の語源』でした。表紙には「本書は、身近な単語の語源をさぐりながら、西洋文化の背景を明らかにした出色の文化論」とありますが、英語をはじめとする西洋世界が和文や漢文の世界との比較を通して光を当てられていく本書の記述は、今も少しも輝きを失っていません。
まるで英語だけが外国語であるかのように感じていた高校生の私にとって、ギリシア語やラテン語といった古い言語があること、そしてそれらの言語の単語が実にたくさん英語に入って来ていることを知ったのは大きな驚きでした。
さらに、日本語の漢字語が独立の意味を持った部分から成っているのと同じように、ギリシア語やラテン語起源の英語の単語が分解して理解できることを知ったこと、そして、部分を理解していると、芋づる式に多くの単語が理解できることを知ったのは感動でした。中でも強く印象に残っているのは、精神=spiritに関わる説明 (p. 27以降) と、生殖=*gn-に関する説明 (p. 131以降) です。
この渡部先生のご著書に出会ったことで、英語を勉強したいという気持ちがとても強くなり、結局、外国語大学に進むことになりました。
390円という値段に注目
『英語の語源』の裏表紙 (左):わずか390円という値段に注目。
『英語の語源』の中のspiritに関わる説明の最初のページ。この頃は赤鉛筆で線を引きながら読んでいました。(現在のお気に入りは水色の蛍光ペンです。)spiritが「呼吸する」を意味するラテン語のスピラーレから出たものであること、またそのラテン語はaspire、conspire、expire、inspireなど様々な語と関係していることが書かれています。
この頃は赤鉛筆で線を引いていました。今は水色の蛍光ペンです。
■ベオウルフとの出会い (1982〜1986) 卒業論文でも使った、Klaeberの Beowulf
多くの(いい意味での)奇人変人に囲まれた大阪外国語大学時代、『ベオウルフ』と衝撃的な出会いをしました。母校の大阪外国大学には各国語の詩や小説などのカセットテープを自由に聞くことができる、大変充実したライブラリがありました。私はそこの常連でした。ある日のこと、文学史の授業で聞き覚えのあった『ベオウルフ』のテープを見つけた私は、何気なく朗読に耳を傾けました。"Hwaet e gar-dena..." ヘッドホーンから流れてきた、英語とは全く別言語のような力強い響きに私は完全にノックアウトされてしまいました。「ああ、この誌を完全に暗唱したい!」その時感じた強い気持ちから古英語の勉強にのめり込むようになりました。
(大学時代に友人が中心になって英語の雑誌を発行していましたが、寄稿者の一人であった私は、ある時、『ベオウルフ』を漫画家して掲載してもらいました。その時の原稿がこちらです。)
同人誌に寄稿した『ベオウルフ』の漫画
Bright's Old English Grammar and Reader
図書館で色々な本をさがしましたが、今でもはっきり印象に残っているのは、Bright's Old English Grammar and Readerです。ハードカバーの重い本なのですが、少しずつノートにまとめ、自己流ながら古英語の勉強を進めました。(その後、名古屋大学大学院で中尾祐治先生に英語史を教えていただきましたが、その時のテキストがこのBright's Old English Grammar and Readerでした。)
Bright's Old English Grammar and Readerを読むようになってから少し経った頃、金山崇先生が授業でSweet's Anglo-Saxon Primerを取り上げて下さり、この授業のおかげで古英語に対する理解がさらに深まったように思います。
Sweet's Anglo-Saxon Primer
■中野先生との出会い 中野先生ご退官の時の記念論文集
4年生の11月、大阪大学で日本英語学会第3回大会が開かれました。学会では英語の助動詞の発達に関するシンポジウムが開かれ、小野茂先生が講師の一人としてお話されることを知った私は、大阪大学まで足を運び、そのシンポジウムにもぐり込みました。その時の講師のお一人が名古屋大学の中野弘三先生でした。中野先生は言語理論に基づいて英語の法助動詞の発達について論じておられました。理論的な説明はほとんど理解できなかったのですが、エネルギッシュに動き回りながら熱弁をふるわれる中野先生のお姿と、「なぜAでもBでもCでもなく、Dに変化したのかについて説明します」という台詞にとても心惹かれました。古英語をすらすら読めるようになるのも確かに魅力的。でも、言語変化に関する「なぜ?」を追求する学問の方がおもしろいのではないか? 中野先生のお話に接して、そんな思いを強く抱き始めました。
名古屋大学の入学試験日が東京都立大学の試験日と同じだったので、両方を受験することはできないことが分かりました。さんざん悩んだ末、結局名古屋大学を受験することにしました。
■大学院時代 (1986〜1989) ChomskyのBarriers
運良く名古屋大学に入れていただくことができた私を待っていたのは、私の入学と同時に広島大学から赴任して来られた天野政千代先生の厳しい洗礼でした。
授業のテキストは当時出版されたばかりのChomskyのBarriers。授業以外に天野先生が開いて下さった読書会のテキストはJoseph E. EmondsのUnified Theory of Syntactic Categories。この二つの著書を訳読方式で嘗めるように訳していくことが求められました。少しでもあいまいな訳をすれば厳しく追及されます。内容に関する質問が矢継ぎ早に飛んできます。引用文献があれば、原典に当たり、そこでどのようなことが言われているのかを報告することが要求されます。中途半端な理解ではとても対応できません。入学当初は本当に大変な毎日でした。(授業中、泣き出してしまう大学院生もいました。)しかし、天野先生の授業のおかげで、一言一句おろそかにせず、内容をしっかり吟味して英文を読むという習慣が身に付いたように思います。また、このような作業を通じて、まさしく「知が開けた」という感じを強く実感しました。このような授業をしていただいたことに対して、天野先生には本当に感謝しています。
生成文法理論で古英語を分析した、Ans van Kemenadeの著書。大変お世話になりました。
生成文法中心の天野先生の授業と意味論・機能論中心の中野先生の授業。英語の事実を中心に据えた小野先生の授業。近藤先生、中尾先生の個性的な英語史の授業。どの授業も、先生方の学問に対する真摯なお姿が伝わって来る貴重な時間でした。授業もさることながら、すばらしい同級生や先輩達に囲まれて研究について話をすることが出来たのはとても貴重な経験でした。
やがて生成文法に対する理解も少し深まり、その理論的道具を利用して言語変化を分析することに美しさを感じ始めるようになり、1年生の時に日本英文学会中部支部大会で古英語の語順について、2年生の時に近代英語協会で非人称構文の消失について、発表させていただきました。しかし研究を続けるうちに、次のような疑問も抱くようになりました。
・生成文法的な言語習得に対する考え方では、サピアの言う駆流(drift)のようなものは存在しえないが(cf. Lightfoot (1979)、それは実際の言語変化の姿を正しく捉えていないのではないか?
・生成文法では人間の言語能力の解明を目指しているが、そのためには、母語話者が母語の直感を生かして研究を行うのが一番の近道なのではないか? つまり、人間の言語能力の解明を目指している、と公言するなら、日本語を母語とする日本人は日本語の分析を行うべきなのではないか?
・生成文法的分析によって、果たして言語の本質がどれだけ解明されうるのか?
このような点を疑問に感じながら博士課程(後期課程)に進学し、1年の時に大阪教育大学に講師として赴任することになりました。
■MIT (1991〜1992) 久野先生の記念論文集。私も寄稿させていただきました
1991年から1992年にかけて、Chomskyのお膝元であるマサチューセッツ工科大学(MIT)で客員研究員として研究をする機会に恵まれました。Chomskyをはじめとする生成文法家達の授業は確かに刺激的でした。しかし、言語学に関して、まさしく畏敬の念を抱いたのは、ハーバード大学の久野先生に接した時でした。こちらが提示した言語事実について瞬時に鋭い分析をされ、説得力のある説明を返し、また生成文法家達の「理論的」な説明を一刀両断にされるお姿に「これこそ言語の本質をついた分析だ」という思いを強く抱きました。
MIT留学中に執筆した、日本語の「する」を含む構文を分析した論文を掲載してもらったLinguistic Analysis MIT留学中に考えたのは次のようなことです。
・チョムスキーがとても深い思想的考察に基づいて研究を進めているのと対照的に、皮相なレベルでチョムスキー的研究を進めている研究者が多くいる。少なくとも自分は生成文法の思想的背景についてもっともっと深く学ばなければならない。
・極小主義によって理論はどんどん抽象化していく。それは確かに言語の一面を捉えているのかも知れないが、実際の言語現象とはあまりにかけ離れてしまい検証が困難な状況になりつつある。また、それによって捉えられる一面は、言語に関わる膨大な事実のごく一面に過ぎない。その一面は、少なくとも現在の自分にとってはさほど魅力的なものではない。
・言語能力の解明を研究の主とするのであれば、やはり日本人は母語である日本語の分析を研究の主体とすべきである。しかし、生成文法では科学的方法論に基づいた分析法であることが声高に叫ばれるが、母語話者の直感などという「非科学的」なものを資料として研究を進めていいものであろうか。脳科学など、もっとハードサイエンス的な側面から研究を行わなければならないのではないか。
・人間の言語能力の解明、などという大上段に構えた目標を掲げるのではなく、次のような立場で研究を進めた方がいいのではないか:まず「○○語について深く知りたい」という気持ちを研究の動機とし、言語理論は○○語の分析に役立つ限りにおいて利用する。そのような立場で研究を行った結果、間接的にでも言語理論の発展に貢献できればいいのではないか。
・母語を分析してみると、外国語である英語を分析した時には実感できなかった様々な法則性を自分で見つけ出すことができる。このようにして規則性を発見することは確かにとてもおもしろいが、研究対象としてのおもしろさという点では、古英語やゲルマン語の方が上である。法則性を発見するおもしろさを取るべきか、対象のおもしろさを取るべきか。
MIT留学中および留学後、しばらくの間、日本語の分析結果を発表したり、生成文法の方法論について論文を発表したりしたのは、上記のような思いの反映でした。(1991年:形容動詞の分析、1992年:「する」の分析、1993年:「総記」の解釈に関する分析、日本語の結果構文に関する分析、「〜ている」構文に関する分析、生成文法の方法論に関する論考)
■アムステルダム大学 (1994) オランダ軍団が2000年に出版した入門書
MITから帰国してしばらく日本語と古英語の研究を平行して行っていましたが、分析対象の中心はやはり古英語の方が楽しい、という思いを強くしつつあった1994年、オランダのアムステルダム大学に留学する機会を得ました。
オランダは言語理論を用いて古い時代の英語を分析する研究者が集う世界的中心地です。アムステルダム大学ではOlga Fischer先生とWillem Koopman先生の元で研究を続けました(今も継続中です)。また、ゲルマン語に生成文法的分析を適用し、V-to-C移動分析を確立したHans den Besten先生やHans Brookhouse先生とゲルマン語に関して実り多い議論を交わしたり、大学院時代、著書を通して大変お世話になったvan Kemenade先生から教えを受けたり充実した時間を過ごしました。
ポーランドで行われた国際英語言語学会の研究発表を集めた論文集。主語への格付与に関する考察を寄稿させていただきました
オランダ留学中にイギリスのエジンバラで開催された国際英語言語学会に出席し、この学会にはそれ以後、ほぼ常連で参加しています。この学会のおかげで、東京大学の寺沢盾さん、京都大学の家入葉子さん、といった有名人と知り合うことが出来ました。海外でお会いしたのでお互いに「さん」づけで呼んでいますが、初めてお会いしたのが日本だったらきっと「先生」と呼んでいたことでしょう。
また、ポーランドやスペインなど、旅行としてはおそらく足を運ぶことのない国に行くことが出来たのもこの学会のおかげです。ポーランドで強盗にお金を盗まれて警察のやっかいになったり、スペインで荷物が届かなかったために下着を探し求めてシエスタ中の街をさまよったり、いい経験をさせていただきました。
■オランダ留学以後 (1995〜) 拙著の表紙。本の中で用いたデータの一部をCD-ROMとして添付したのも画期的!
オランダ留学後、言語事実の解明につながる限りにおいて言語理論を使う、という立場で研究を続けています。議論を分かりやすくしたり、深い分析を行ったりするために言語理論を使いはしますが、特別な言語理論がなくても成立する研究、つまり従来指摘されてこなかった新たな言語事実の発見を含んだ言語研究を目指しています。
たとえば、科学研究費と中部大学の助成金で2001年に出版していただいた拙著Old English Constructions with Multiple Predicatesでは、従属節における助動詞と本動詞の語順を主な分析の対象としていますが、この研究では本動詞が目的語や前置詞句など他の要素を従えている場合には「助動詞-本動詞」語順になりやすく、そのような他の要素がない場合には「本動詞-助動詞」の語順になりやすいことを指摘しています。理論的枠組みとしては生成文法を使っていますが、この研究で発見した「事実」は理論を越えたもので、たとえ生成文法的枠組みが古くなってしまったとしても、発掘された事実は残るのではないかと自負しています。
現在、科学研究費の補助を受けて、イギリスの至宝のひとつである、Lindisfarne Gospelsの行間注解の分析に取り組んでいます
2004年以降、科学研究費の補助を受けて、Lindisfarne Gospelsの行間注解の研究に取り組んでいます。Lindisfarne Gospelsは700年頃に作られたラテン語の福音書写本ですが、10世紀に古英語による行間注解が付けられたため、英語史にとっても大変重要な資料となっています。
研究用に購入していただいたファクシミリを見ていると心は時空を超え1300年前のリンディスファーン島へ飛んで行ってしまいます。神様の言葉を刻み込むペン先が羊皮紙を削る鈍い音と写字生の息づかいが聞こえてくるようです。
芸術的価値も高く、特にカーペットページと呼ばれる部分は芸術品として鑑賞するに値します。
現在進行中のLindisfarne Gospelsの行間注解の分析を通して、「あっ!」と驚くような古英語に関する事実が明らかになる予定です。
博士論文:Clause Structure in Old English
2006年9月6日、オランダのアムステルダム大学で博士号の審査を受けました。大言語学者Wim van der Wurff氏とOHKADO Kikuyo氏をparanymph(審査を受けるものが困った時に助けを出してくれる役)に、審査員達の厳しい質問に冷や汗をかきながらの審査でした。
審査が行われた建物の名前は「講堂」を意味するAula、審査終了を伝える合図は"Hora est"(時間です)というラテン語、いただいた学位記の言語もラテン語。ヨーロッパでのラテン語の存在感を強く感じさせる審査でした。
アルフレッド大王の行いを伝えるアッサーの『アルフレッド大王伝』
今のところ、研究の公表とは直接結びついていませんが、様々な偉人に出会うことが出来るのも歴史的研究の大きな楽しみです。
バイキングの侵略からイギリスを救い、自らラテン語翻訳を進めて学問復興に勤めたアルフレッド大王、
膨大な言語資料に圧倒され、神に救いを求めながら『オックスフォード英語辞典』の編集を軌道に載せたジェームズ・マレー。
迫害に屈せず聖書を英語に訳し、ついには処刑されてしまったウィリアム・ティンダル。
このような偉人達に出会い、その生き様から多くを学べることが、私にとっては、歴史的研究を行う原動力のひとつになっています。